Column 2001.12.31  

   ◆◆ 嗚呼、行く年来る年 ◆◆
   グローバル市場とローカル市場

下記一部記事の著作権は 
内閣官房内閣広報室が所有します 

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●今年も残りわずかになってきた。最近、コラムのアップが滞っていて「楽しみにしているから、定期的にお願いします」といった声もきかれる。こういう持続力を要求される企画は思っていたよりも遥かに大変であることを実感しているが、少なくとも楽しみにしていてくれる読者が存在しているらしいということに驚きを感じると共にその人達に感謝の気持ちを送りたい。
少しばかり言い訳をさせてもらうと、コラムらしき物は書いていたが、どうにもこうにも話題が著作権に引っかかったり、関係者外秘内容であったり、宗教関係であったりして公開がはばかられる物ばかりが多かったのだ。その内容は個人的にメールにして送ったり、家人に見せるだけに限り、今のところ門外不出になっているが
チャンスがあれば公開しようと思っている。
可能な限り自己主張はしたいが無用な軋轢を避けて通りたいのは人情であるから、少し発表の場を工夫しないといかんなとは思っている。具体的には新春からだ。
●さて世の中なんでもかんでもグローバル流行だが、建築業に従事している者にとっては特にグローバルに拘る必要は無いわけで、商圏としてはせいぜい半径40キロメートル程度が限度ではなかろうか。距離というよりも時間的尺度で車で移動時間として60分以内というところか。お施主さんに呼ばれて「ハイすぐ行きます。」と言って1時間が限界だろうというのは大体の共通認識である。
そこへいくと、このインターネットなんてものは時間も距離も超越しているわけで、これからの建築屋はハードだけじゃなくソフトの販売も手掛けなければ頭打ちだゾとなんとなく分かったような気になるのはいつもながらのことなのだが、身近な話題になって急に親近感が沸いたり、御ヒイキにしたくなるのは私だけではないだろう。
今回はそんな話題である。
 
●私も例に漏れずいくつかのメールマガジンを拝読しているが、その中に「小泉内閣メールマガジン」がある。はっきり言ってあまり面白いとは思えないが、定期的に配信してくれるので一応国民の義務のような気がして毎回読み飛ばしている。
ただ必要に応じて「あの大臣はこんなこと言ってたな。」といった時にデータベース的に使うというケースはある。
最近、紙上で金融担当大臣の柳澤伯夫氏の名前を見聞きすることが非常に増えたが、たしか柳沢氏は自分と同郷であったはずだと首相官邸のサイトへアクセスし小泉内閣閣僚名簿で氏のプロフィールを確認してみると、果たして高校が同窓であることが明らかになったりして、氏の政策とは関係なく無闇に応援したくなってしまう。そう、これは単なるワタシの自慢である。ただ、こういった感覚は権力志向がある男的感覚であるらしく、母性感覚的な日常に生きる女性にとっては薄いらしいという事も付け加えておこう。妻に言わせれば「ふーん。でも関係ないジャン。」である。

●以下小泉首相官邸のサイトから引用
金融担当大臣
yanagisawa.jpg (13357 バイト) やなぎさわ はくお
柳澤伯夫
生年月日 昭和10年8月18日(65歳)
出 身 静岡県袋井市
衆議院議員 静岡三区 当選6回

経歴

昭和36年 3月 東京大学法学部卒業
昭和36年 4月 大蔵省入省
昭和46年 7月 在ニューヨーク領事
昭和53年12月 内閣官房長官秘書官
政歴
昭和55年 6月 衆議院議員
平成 2年 3月 自由民主党農林部会長
平成 6年 7月 外務政務次官
平成 7年 9月 衆議院文教委員長
平成 7年11月 自由民主党行政改革推進本部事務局長
平成10年 3月 衆議院厚生委員長
平成10年 7月 国務大臣 国土庁長官
平成10年10月 国務大臣 金融再生担当
平成10年12月 国務大臣 金融再生委員会委員長
平成12年12月 国務大臣 金融再生委員会委員長
平成13年 1月 国務大臣(金融担当大臣)
平成13年 4月 国務大臣(金融担当大臣)
プロフィール
 東海道の宿場町・袋井市の旅篭に生まれる。静岡高校を経て、掛川西高を卒業し、東大に学ぶ。ニューヨーク勤務中、変動相場制への移行、外債発行などを経験。昭和53年に大平内閣が誕生した際、大蔵省から田中六助官房長官の秘書官に出向したのをきっかけに政界入り。財政、金融はもとより、農政、外交と政策の守備範囲が広い。
 平成10年7月に小渕内閣において初め国土庁長官に就任。同年10月に金融再生担当大臣に横すべり就任し、長銀、日債銀の破綻、一時国有化を決定。同12月、新設された金融再生委員会の委員長に就任し、大手行への資本注入、破綻金融機関の処理を行う。平成11年10月退任。
 平成12年12月に第2次森改造内閣において金融再生委員会委員長に再就任。平成13年1月の省庁再編に伴い、金融担当大臣に就任し、同年4月小泉内閣において再任される。この間、アジア・ウイーク誌において、「アジアのパワフルな政治家」第8位に選ばれ、ビジネス・ウイーク誌でも「アジアの星」に選ばれた。
家族
夫人(版画家)との間に2女
信条
「交友侠気」
趣味
オペラ鑑賞、古本屋回り
著書
「赤字財政の10年と4人の総理たち」(日本生産性本部)

 


●それではよいお年を。